(49)政治家のあるべき姿とは

政治家はなぜお金を必要としているのか。

その答えとして政治家本人が、「政治家を続けるには、つまり選挙に勝つにはお金が要るのだ」と真面目な顔をして開き直るように話す。アメリカの選挙資金の例を交えて評論家も口をそろえる。現状そうなのだろうなと一定の理解ができるような気もしないでもない。

まあ、政治家にはある程度のお金が要るとしても、だからと言って立法府の一員である以上、帳簿に載せずに自由に使える裏金を作ったこと自体決して許されることではない。ここで政治家だけ許されるのなら公平性は損なわれる。へそくりだと譲ってもあまりにも高額である。後で、いやあれは政治のために使いましたと帳簿に訂正記載しても、そんな説明を信じる人はいない。そのお金がどこから入ってきて、そのお金を何に使ったのかを明確にしないでいい抜け穴だらけの法律であっても、岸田総理は、それが与野党で決めた現行の法律だからと開き直る。仮に法律に触れていないようなギリギリの線ではあっても、その裏金を申告せず繰越して脱税しているのは許されることではない。また、わざわざ使途を不明瞭化するために資金の付け替えをする手法についても、その時期が選挙を前に集中しているのだから、その使い道がとても怪しい。選挙の票集めのためにバレない様にこそっとばらまいたと考えるのが自然である。

 

筆者が思うには、政治家がお金を必要としている理由は、それが生業となっているから、なのだと思う。その政治家が落選したら、途端に当の政治家一家の生活が成り立たなくなるだろうし、その政治家の秘書や彼らに関係するかなり広範囲の取り巻きや、票を集める上でつながっている者同士で習慣化した行事(ダンサーを呼んでの宴会など)がなくなり、例えば酒が飲めなくなってしまうとそれにいつも参加して楽しむ側にとっては大変な騒ぎになったりするだろうから、そんなことにならないように一度政治家になろうとしたら、あるいは政治家になったらそれら全体を維持するだけのお金が必要なのだろう。

政治家も秘書や事務所スタッフもその他取り巻きも含め、彼ら自身の生活も懸かってくるわけだし、絶対に落選しない、絶対に勝ち続けるための手段としては、なりふり構わず何でもありになってくるのであろう。現実は、安直にお金の掛からない宗教の信者を利用したり、地元の有力者や市議や県議にお金を配って協力し合いお互いに票が確実に得られる暗黙の了解が出来上がってきたのだと想像できる。

 

政治家は、法律を作るのが仕事である。だから自分たちには都合のいいように法の抜け道を残しておくことのできる立場でもある。この何十年もの間、何か問題が発覚しても、その都度、それを示し合わせたかのように抜け道づくりを公然とやってのけてきた。過去の問題を受けて政党交付金が配られて来たにもかかわらず、この間ずっと献金や寄付を受けたりとか、パーティーとかでお金を集めて来たのである。特別扱いや抜け駆けしようと目論んでいるからこそ、企業団体や個人はその見返りを得られるように献金や寄付を行うのである。この安直な構図を打破できないでいる日本の将来を憂えないわけにはいかない。

 

現状のままだと、絶対に勝ち続ける見通しがなければ、政治家になろうとする人はいなくなるだろう。

 

裏金とかの問題が出ないようにするには、理想的にはもともと家系が大金持ちで裕福な、それこそお金に困らない、政治活動の資金として寄付や献金、パーティーなどに頼らなくても生活に困らない、生涯変わらず正直でまじめな、誰にも影響されない公正公平な判断ができる人物が選ばれればいいような気もする。

ただ、だからと言って、そういった裕福な人だけで行われる政治なんて、そのモチベーションが偏っていそうなので、受け入れられないだろうし、裕福なお金持ちしか政治家になれないなんて、時代に逆行するみたいでとんでもない。

 

ではどうすればいいのか。スウェーデンなど先駆の例が存在していて、そこでは、政治家には権限を持たせるのだから彼らの収支には透明性を持たせるのが当然として制度化されているのである。やればできないことではないのは確かである。

 

筆者の考えは、政治家の収支に透明性を持たせるのは当然として、個人であろうと企業団体であろうと寄付、献金の類を一切禁止した上で、政治家の収入は税金由来の交付金のみに限定する。その交付金の算定には工夫が必要で、例えば得票数に応じたり、議員歴に応じたり、政策立案の功績に応じたり、国民が政治家を評価する制度や機関を作ればいいと思う。

 

初めから儲かろうとか一旗揚げてやるとかの思いで政治家を目指す人はいないと思うし、いま、腹黒く映る旧安部派歴代幹部たちにしても、その初心は、国のため、国民のために、世の中を良くしたいとの志があったはずである。

政治家という職業が、誰もやりたがらないけど誰かがやらなければならない名誉職として位置づけされ、政治に携わりたいという初心を貫いて国民に尽くす政治をすれば、自然に国民から尊敬されるはずである。