(52)なぜニュートラルでいられないのか。

「日本は戦後、民主国家になった」と小学校や中学校で先生から聞いたような。子供ながらに何となく悔しくもあったけど、安心し誇らしくもあった。

でもそんなでもないと感じる今日この頃である。

和歌山の町村会が二階氏の息子に次期衆議院議員選挙への出馬を要請したとの報道と、自民党の裏金問題を暴露しかかった議員が女性がらみのスキャンダル報道で辞職するとの報道である。

 

そもそも町村会とやらは何なのか。何を目的に存在しているのだろうか。町村会イコール自民党なのか。町村会の会員にはいったいどういうメンバーが在籍しているのだろうか。

ネットで調べたら、小さい「町」や「村」の集まりだとのこと。「町」や「村」単体での活動では力が小さいから、県や全国でまとまって県や国に働きかける団体であるようだ。つまりは、公共性の高い「団体」である。

その公共性の高い団体が自民党に偏った人物に衆議院議員への出馬を公然と要請することがまかり通るのであり、自分一人だけいい格好しいの人物には、なぜかきついお仕置きが下ることになっているようだ。

日本は、戦前も戦後もずっと昔からこうしてきたのである。まるで中国やロシアと同じではないか。長いものに巻かれてしか生きていけない輩を増長させてはならない。個として生きていけない国にしてはならない。

なぜニュートラルでいられないのか。それはやはり、中毒性である。飲み会やどんちゃん騒ぎ、破廉恥なパーティーが中毒となっているのである。それらが裏金を生み出す元凶である。筆者の記憶や見聞きした情報で言えば、偏見かもしれないが、「おやじの会」とか「青年会議所」とかも、何となく似たような匂いがする。