(28)あさましくならないように

支援を受けたウクライナの謝意を示す動画に、日本の名前がなかったらしい。それを耳にした最初の気持ちは、一瞬でもガッカリしたのは間違いなく本音である。でもすぐにその気持ちに対して、あさましいなあと思った。

次の瞬間自分のあさましさに気付いたのは、反射的に思い出したことがあったからだ。筆者の母は若くして宗教団体の信者だった。母の言動には、他人の不幸に付け込んで、ほら見たことかと、その人が入信しないからだとか、お祈りしてやったことを恩着せがましく言葉にすることがあり、それが本当に嫌だった。その点で、これまで母を反面教師としてきたつもりではあるが、人の本質として、誰かに感謝されたい欲求、施しをして優越感を味わいたい欲求というのは確実にあるのではないだろうか。ある意味、それで人間社会は成り立っているとも言える。

だからと言って、支援したけど感謝の意が示されなかった事へのがっかり感を、表情や言葉や文字にしてはならない。感謝されたいからする支援だったのか。決してそうではないはずだ。無償の愛でいいのだと自分に言い聞かせている。あさましい言動にならないための訓練だと思って。(ウクライナには、1円も寄付していないから言える立場にないけど)